2007年6月9日〜7月8日
原作 谷崎潤一郎(痴人の愛)
作・演出 山田裕幸
出演 山路誠・北澤輝樹・中村匡克・高田愛子・大野由美子・宍戸かな・寺尾恵仁(第七劇場)



公演期間が長かったので、当日のパンフレットを以下の5回更新しました

ごあいさつ 5

本日はご来場ありがとうございます。6月9日に初日を迎えた公演ですが、あっという間に、今週で終わってしまいますが、最後まで気を抜かずにやっていこうと思います。

演劇、特に小劇場演劇は、世間一般で言うところのマイナーです。学校や職場で、テレビや映画の話はしても、あまり演劇の話をする機会はないでしょう。私たちは、もっと多くの人に演劇を見てもらうためにどうしたらいいか、これまでもいろいろな場面で話してきましたし、今も切実な問題であることには変わりありません。

まあ、演劇を映画やテレビと一緒にするのは無理があるといえばあります。家にいながら見られるテレビには「触れる機会」という面からはかないませんし、フィルム一本あれば上演可能な映画に「コスト」という面からもかないません。ですから、演劇をテレビや映画に近づけても、なにも変わらないでしょう。

ではどうすればいいか。実はそれは単純なことで、演劇には演劇の魅力があり、それはテレビや映画では味わうことのできないものである、ということを伝えていくことです。簡単ではありませんが、突き詰めて考えると、まあそういうことです。

でも最近、一番問題だなあと思うことは「演劇の魅力って何?」という質問に、当の演劇人が答えられなかったりすることです。演劇に魅力を感じられない人に、演劇の魅力を伝えることはできません。私はよく演劇ワークショップもやりますが、なぜやるのかといえば「演劇の魅力」をダイレクトに伝えられるいい機会だからです。今度、劇団の俳優にもきちんと訊いてまわろうと思います。

本当に多くの人に演劇を見てもらいたいと思っています。自分たちの公演だけ客が集まればいいとは思いません。アトリエを構え、こうした長期間にわたる公演を始めたのも、演劇をご覧になる機会をもっともっと増やしたかったからです。

ごあいさつ 4

本日はご来場ありがとうございます。6月9日に初日を迎えた公演ですが、ようやく半分を過ぎ、7月8日の千秋楽に向かって、さらに盛り上がっていきたいと思っています。

ある方が以前、小劇場の世界は「回転すし屋」でいうと「トロ」ばかり出しているようなものだと書いていて、いい例えだなあと思いました。回転すし屋というのは、同じ一皿100円でもネタによって原価が違うわけですから、たとえ「トロ」の原価が100円を超えていても、原価の安い、例えば「タマゴ」とか「かんぴょう巻き」とかで元を取っているわけです。経済の枠組みで見たら、私たちは儲かることのない「トロ」ばかりを出している、頭の悪い回転すし屋ということになります。

「タマゴ」のようなものを一緒に売れたらいいのですが、演劇という舞台表現はやっかいなことに、ある期間、ある人数が行動を共にしないとなりませんから、「タマゴ」のようなものって簡単には出来ないわけです。 
あとは「トロ」の値段を上げるしかありません。値段を上げても、売り上げが落ちない「トロ」を出せたらいいわけです。「トロ」を売り続けても儲かるためには、こうするしかないでしょう。

このように考えると、この公演の入場料はおそらく5000円から6000円の間です。

以前、劇団のミーティングで、入場料を下げたらどうかという意見が出ました。もちろん、チケット代を減らせば、来てくれる方が増えるかもしれませんが、私は次のように答えました。

「値段を下げるのは簡単だけど、演劇を観るっていうことは、トロばかりを食べていることだってことを、観る人だけでなくて、僕らがきちんと認識して、伝えていくことの方が重要じゃないか。もちろん、きちんと価格に見合った質の作品を作り続けなくてはいけないが、そんなに安くていいの?演劇なのにって言われるようになった方がいいじゃないだろうか。」

さあ、これから60分、どうぞリラックスして、お楽しみください。

ごあいさつ 3 



本日はご来場ありがとうございます。6月9日に初日を迎えたこの公演ですが、これを書いている時点では、まだ半分に届いておりません。気候の変化にも負けず、日々がんばっております。

やっている私たちは、つい、芝居をすることに慣れてしまいがちです。長期間に渡る公演ですし、やっているのは、人間ですから、どうしても「慣れ」と「飽き」が生まれてしまいます。もちろん、これからご覧になるお客様は、ほとんどの方がこれから初めてご覧になるわけですから、俳優には、毎回新鮮な気持ちで、全力でステージを務めろと言っております。

しかし(繰り返しになりますが)やはり人間ですから、どこかに隙が生まれます。「慣れ」と「飽き」は、もうどうしようもないことなわけです。

じゃあ何が俳優を支えているのでしょう。なぜ俳優は日々演じるのでしょう。お金のためでも、名誉のためでも、義務だから、でもないでしょう。もちろん楽しいから、っていうのは嘘じゃありませんが、楽しいだけではなかなか続けることは難しい。

それは多分、「不満足感」でしょう。「埋められない何か」の存在ではないでしょうか。どんなにやっても、どんなに努力しても、俳優のような仕事に完璧はないし、ゴールというのも存在しないから、だから今日が終わっても、また明日、ステージに立つのではないでしょうか。

なんだか取りとめのない話になってしまい恐縮ですが、つまり、まず目標を設定すること、そのための具体的な努力をすること、そして知ろうとし続けること、これが俳優にとって必要な資質である!ということを言いたかったわけなんです。

さて、そういうわけで、これから開演です。

どうぞ、最後まで、ごゆっくり、リラックスしてお楽しみください。

ごあいさつ 2 


本日はご来場ありがとうございました。

始まる前は、長い長いと思っていたのですが、始まってしまうと、あと何回と思うようになるから不思議です。

今回の作品は、谷崎潤一郎という作家の『痴人の愛』という小説を原作にしています。これからご覧頂く作品の後半部分は、ほとんど、原作の言葉やせりふで構成されています。
この言葉を舞台に載せるための仕掛けを考えることが、演出する私にとっての最大のテーマであり、関心事でした。うまくいったかどうかは、観客の皆様にご判断いただきたいと思っています。

劇作家も兼ねる私にとって、このように小説をモチーフ、もしくは原作とするメリットは何かなあと考えます。これまでも、武者小路実篤、太宰治、坂口安吾などを取り扱ってきたわけですが、普段となにが違うのか。

それは無責任でいられるということです。なぜ、この登場人物?なぜこの設定?なぜこの行動?普段のオリジナル作品では、それらすべては劇作家の責任ですが、小説を原作にすれば、「そんなの太宰治に訊いてくれよ」と都合のよい返答ができます。

いや何もそれが楽だからやるってわけじゃありません。距離の問題です。原作がある方が、やる側にとって距離があるから、より自由になれるって話なんです。

アトリエ公演という、いい意味での気楽さもあって、今回は、思いっきりその空白を利用して、演劇的な面白さを、素直に表現してみました。何人からの人からは、普段の公演より、スタイルのようなものが山田に合っているなどと言われますし、確かに、自分の身体に合った作品づくりができたように思います。その辺は色々考えるところもあるのですが、何らかの形で次の作品にいい影響を与えるのではないかと思っています。

さあ、開演です。どうぞ、リラックスして、目の前の世界と、呼吸する俳優を存分にお楽しみください。

ごあいさつ 1 


本日はご来場ありがとうございます。

 この場所は普段、私たちユニークポイントと、もうひとつ、第七劇場(出演者の寺尾君が所属しています)の2つの劇団が稽古場として使っている場所です。もともとダンスパフォーマンスの集団が使っていたのですが、昨年の4月に手放すというので、躊躇せずに譲り受けました。

 観客のみなさまにとっては、私たちがこれまで普段、どのような場所でどのような稽古をしていたのかご存知ないと思いますし、あまり必要な情報でもないかもしれませんが、せっかくの機会ですので少しだけ書かせください。

普段の稽古は、○○区民集会室のような場所を一回1000円くらいで借りています。で、基本先着順なんですね。予約が。おまけに月に5回までとかいう使用規定があったりして、日によって稽古場所が変わるんです。僕らはこの状態を「稽古場ジプシー」などと自虐的に呼んでいますが、これがとにかく落ち着かないわけです。じっくり稽古なんかできない。おまけに人を不快にさせる名人のようなご高齢の方が、区から委託されて管理していますので、退室時間が近づくと、早く出ていくようにプレッシャーをかけ始めます。演劇は大きな声や振動を伴うというこで、演劇の稽古を禁止している場所も多くあります。

演劇人は彼らにとって邪魔な存在。変な奴と思われているかもしれません。でも変な奴をルールで規制するのは、管理する側にとっては便利な手段だけれど、変な奴がいない世の中は、不健全だと思っています。

まあそういうわけで、稽古場というのは本当に不足しています。

で、話は元に戻るわけですが、そういうストレスからやや解放されて、私たちはここで稽古をし、そしてこのようなアトリエ公演ができるようになりました。人によっては、贅沢だと言う方もいるかもしれません。実際、お金はかかりますし。でも、作品をつくるのに一番大事なのは、どう考えても稽古場なんです。だから、稽古場にお金をかけることは、贅沢なことではないし、その環境を作り出すことも、僕は優れた演出家の仕事だと思っています。

作品のことを書くスペースがなくなりました。でも作品のことはここで語ることでもないかもしれません。