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山田裕幸のポテンシャルにかなり早くから気づいていた、
というのが僕のちょっとした自慢ではある。

僕が目をつけたのは、多くの人には意外に思われるかもしれないが、山田裕幸のエロスへのセンスであった。なんというか、おねしょをするひとが、同士をたちまち見分けられるように、僕にはピンと来たのだ。

 しかし彼はどんどん畑を広げていった。だから僕には一時、山田裕幸は自分の本当に得意なことを知らないんじゃないか、とも見えた。

 だがここへ来て、彼の作戦は彼の本当の得意技を生かすためのものであったことが明らかになってきた。彼はたぶん、彼自身の個的な才能の中に作品を閉ざすことを放棄し、<集団に対して開かれた作品>に向かったのだ。

 それが劇としてのすがたを明瞭にするまでにやや時間がかかったかもしれない。しかしいま、ユニークポイントは、「作家の世界観を開陳するための作品」ではなく「ともにものを考えるための材料としての作品」を見せてくれる貴重なカンパニーとして、きりっとした輪郭を持つに至ったのである。
宮城 聰(演出家/ク・ナウカ代表)

『もう花はいらない』のような小説をモチーフにした作品や、『カンガルーと稲妻」のようにドラマ性の強いもの、『白痴』のように実験的性格の強いものなど、様々なスタイルに挑戦しており、単純に「静かな演劇」で括ることはできない幅を持っている。
(丸田真吾氏/テアトロ2004年10月号・作家論)

以上の二作に比べて、山田裕幸の『トリガー』は、かなり異常だ。(中略)現代社会の諸問題に直接抗議するのではなく、それらが人の心を侵食するグロテクスさを描こうとした意図を評価した。
(斎藤偕子氏/テアトロ2005年4月号・テアトロ新人戯曲賞選評)

携帯電話から匿名で送られるあらわな画像、教員同士の確執や屈折した思い(中略)それらの目に見えないやりとりの重なりが、昼の学校を夜のようにイメージさせたのかもしれない。
(野中広樹氏/テアトロ2005年6月号・『鉄扉の中の自由』劇評)