2001/1


 1/31(水)
■S高校で授業後、この間のテストの採点。生徒は早速503iを持っていて、授業中ゲームで時間を潰していた。色々質問するが、生徒もいまいち機能を把握しておらず、企業の戦略にはまっている。16和音の再生、アプリケーションの受信、まあ色々あるだろうけど、もちろん全然興味はない。電話できればよい。
■全然関係ないけど、セガがドリームキャストの生産中止を決めたのは多くの人が知っていると思うが、実は私も前に買った。株価も暴落している。
■夕方、新宿で美術打ち合わせ。夜、東長崎であこがれの稽古。
 1/30(火)
■S高校で授業後、中野へ。ポケットとウエストエンド、折込みのハシゴ。
■東長崎であこがれの稽古。
 1/29(月)
■今週から三年生の授業がなくなり、いつもより一時間早く帰る。三年生の授業はみんな六時間目なのであった。週末は悪天候で、洗濯ができなかったので、まとめて行う。先日修理に出したズボンを取りにいくが、仕上がりに納得せず、やり直してもらう。世田谷の事件から一ヶ月だという。夜のニュース番組をゆっくりと見る。新大久保の事件は報道のされ方や対応が、妙に政治的で、ちょっとうんざりする。
 1/28(日)
■午前中、アゴラ劇場で折込み。8000枚を5人で。遅刻してすいません。
■お先に失礼して池袋へ移動。ワークショップ。15名参加。今日はテキストをやる。OK。
 1/27(土)
■しかし、雪である。起きて外を見ると、一面真っ白だ。ちょっと嬉しいが、すぐに面倒なことの方が多いことに気付く。
■巣鴨であこがれの稽古。13:00から15:30まで。さっとやって、さっと終える。
尼崎市から戯曲賞の要項が送られてくる。近松門左衛門賞。賞金300万円。ただし未上演賞に限る。普段、上演を前提として戯曲を書く。賞(金)のために戯曲を書くというのはどうなんだろう。
 1/26(金)
■一日制作業務に追われる。夜、テレビのニュース速報で新大久保の駅で三人が電車に轢かれて死んだと出る。今日は電車に乗る予定はなかった。
 1/25(木)
■S高校で授業後、国分寺へ。三年生は最後の授業。一区切りつく。同僚と国分寺で軽く食事。しかしまた人身事故だよ。寒いし、雨なのに。軽率にあれこれ言うべき問題じゃあないけど、こう多いと文句の一つも言いたくなる。「公共の乗り物に飛び込むな」
 1/24(水)
■S高校で授業。今の携帯電話は、カラオケをダウンロードできたり、小型のデジカメが付属していたり、もう大変なことになっている。そういう携帯は生徒にとっては絶好のおもちゃだ。今日も昼食後、5時間目の授業へ行くと、半狂乱気味の生徒たちが、携帯から流れる音楽に合わせ歌っている。その光景は、まるでどこかの幼稚園のようだ。あと数年経てば、携帯電話に依存していた自らを恥ずかしいと思う時代が来るだろうが、彼らはもちろんそんなことは想像だにしない。今、目の前にある世界こそが、すべてであるように振る舞う。我々の多くがすでに経験したようにね。ただこっちにとっては、たまらない。猛獣を操っているみたいだ。さっぱり言うことは聞かない。まあ、それは別に大したことではないんだけど(言うことを簡単に聞きすぎるのも問題だ)、相手が高校生だと思うと、さすがに溜息の一つも出る。少なくとも高校生のやることではない。
■生徒が言う。「先生、こんな僕らをどう思う?」返答に困る。本心は、「馬鹿だな、ガキだな」と、ただそれだけで、気にもしない。別にどうでもいいことだ。僕がどうにか出来る範囲を遙かに超えている。ただ本心は、恥ずかしい。こんな子供を作った大人に向かってそう思う。近いうちに、この辺のことは、雑記に改めて書こう。
■夜、こまばアゴラ劇場でフラジャイル「BRIDGE」を見る。せりふの時代の堤さんに、最新号をいただく。終演後、飲みながら小里さんと結構真剣に話す。やっぱ、真面目だよ。ね。
 1/23(火)
■S高校で授業。帰ってきて、近所を30分ほど走る。ビデオでマグノリアを見る。夕食の回鍋肉に、少々迷ったがニラを入れる。正解。炬燵を出した。炬燵は冬の寒い部屋で寝そべって本を読むにはちょうどいい。まるで夕食後、薪ストーブの前で膝掛けをして本を読むように、日本人は炬燵で横になって本を読むのだ。
 1/22(月)
■S高校は推薦入試のために休み。夜、3人ほどで集まり、餃子を70個ほど作り、焼いて、たらふく食べる。たらふくを変換したら「鱈腹」と出るが、これでこの場合正しいのだろうか。12chの番組にでも投稿しようか。
 1/21(日)
■昼から巣鴨でワークショップ。休憩を挟んで夜はあこがれの稽古。
■間にセンター試験の数学をざっと解いてみる。うーん。どの問題もよく練られているという印象。唸る。ただ、受験生には少々酷な問題だろう。知らない人もいるから少々解説すると、近年どの大学も生徒が集まらないので、センター試験で課す科目を、どんどん減らしてきたんですね。国公立を目指すならセンター試験、という当たり前だった常識が、ある意味変化していった。で、その傾向が、若者の学力不足の最大の要因だというのが、まあ現段階での一般論なんですよ。だって、僕らの頃は、文系でも理系でも、国語はあったし、数学だってもちろん必要だった。国立大学を目指すなら、それが当たり前だったわけです。でも、繰り返しになるけど、最近では、地方の国公立大学などは、センター試験の科目数を軽減してきたんです。生徒が集まらないから。
■文部省は学力低下に歯止めをかけようと考えています。(これは最近メディアでよく語られますので説明は省略)その対策の一つとして科目数の負担を増やそうじゃないかと。どの学生にも必要な知識、五教科七科目を課そうじゃないかと。五教科七科目ってことはですよ、社会でいえば、地理と世界史とか、理科でいえば生物と化学とか。つまり、最大のネックであった社会二科目、理科二科目が必修になるということなんですね。
■これはいかにも文部省的である反面、これからの時代を担う若者たちにとっては確実にいい傾向だと、個人的には思います。いかにも文部省的というのは、先を読めないというかな、おかしくなって初めて考えるというかな。
■今回の数学の問題にしても、しっかり時間をかけて見て、研究すると、思わず唸る問題だったんです。でも、普通の受験生は、60分という時間でそこまで読めない。だから、画一的な方法で勉強してきた受験生はきっと戸惑うはずだと、この出題者のある意味「突き放しの精神」を感じることが出来ます。これはえらいことです。だって、駄目な奴は駄目だろうと、そう決意したということですから。もっと言えば、人の能力というのは平等ではない、と認めたとでも言うのかしら。
■3年前あたりからこの傾向は徐々に感じられたのですが、今回で確信しましたね。出題者にねぎらいの言葉をかけたいと思います。出題者(大学の教授が中心)は、2週間ぐらいホテルに缶詰になって考えるのですから。しかも自分の問題が採用されたかどうかも、試験当日にならないと分からないんですね。外部との連絡を一切制限されて考える。そういう環境の中で、これほど真摯に日本の未来を考え、期待を込めて、問題を作ったのでしょうから。
■センター試験はそういう見方もできるんです。毎年一回確認できるいいチャンスなんです。教える側の人間にとっては。
■以上「センター試験に見る教育問題」でした。
 1/20(土)
■稽古が中止になり、暇なので、南越谷へ。山路さんと、青年団「さよならだけが人生か」を見る。色々あって合計3度も見た。もちろん自分のところ以外の公演を3度も見るのは始めて。いや、2度もないか。レポートが書ける勢いだ。いい感じに力が抜けていて、とっても見やすかった。定着するといいよな、やっぱり。一ヶ月くらいやってみたいものだ。でももう制作の太田さんには感謝するしかない。
■せっかくだからと、帰りに南越谷を散策するが、これといって面白いものもなく帰宅。すぐに風呂に入る。なにせ雪だし、寒い。嫌になっちゃうよ。
 1/19(金)
■今日は金曜日。授業はない。洗濯の日。
■夜は巣鴨で稽古。順調過ぎて怖いほどだ。
 1/18(木)
■S高校で授業。鼻がつまり、声が出ない。風邪だろうか、多分そうだろう。子供の頃、風邪をひくと、学校が休めたりして、ちょっと嬉しくもあったが、今はただの不注意としか見られない。これは一体どういうことだ。まあいいか。夕方、国分寺へ。一コマだけ授業。
■夜中、テレビでチアリーディングの大会を見た。よく分からないが、失敗しても決して崩さない笑顔に笑いながら、でも凄いよな、これ、とちょっと関心した。落下に備えて、演技中、まわりにスタンバイしている男性の係員が、かなり間抜けで、これもまた面白かった。危ないシーンになると、ささっとかけ寄り、女性演技者に混じって、手を差し伸べるのだ。そして、それが終わるとささっと戻っていく。白い上下が何とも間抜けだ。あれをやるのに何か資格がいるのだろうか。それとも何でもないただの関係者だろうか。色々知らないことが多すぎて疑問が残る。
 1/17(水)
■S高校で授業。空き時間、職員室の棚に高校が崩壊するという本があったので、それを読む。家に帰ってまで読みたくなかったので、放課後居残り、一気に読む。途中、生徒や先生に「何を読んでいるのか」と何回も聞かれるが、その度、集中が途切れるので迷惑だ。人が集中している時は、そっとしてもらいたいものだ。職場で本を読むと、これだから困る。
■神戸のあの地震から今日で六年だという。ちょうど朝からバイトしていて、そこでTVニュースを見ていた。今でもよく覚えている。まだ23才だった。
 1/16(火)
■S高校で授業。朝、下半身が寒さで凍ると思った。夕方、安木君がPCを買うというので、それに付き合う。
 1/15(月)
■S高校で授業。昨日は、22時頃さっさと寝たので、睡眠時間ばっちり、授業も快調であった。人間、睡眠は大事である。
■とにかく寒い一日。ベランダが喫煙場所になっているのだが、一本吸うのに命がけだ。吸わない人からみたら理解不能の行動だと、そんな話を同僚とする。
 1/14(日)
■昼から巣鴨でワークショップの第一回目。今月は、あこがれ出演者との合同ワークショップだ。総勢18名。簡単なゲームと、創作。
 1/13(土)
■昼から巣鴨であこがれの稽古。しつこいが、予想以上に面白い。
■夜、下北沢でS高校の非公式の飲み会。峰野くんを強引に誘う。
飛ぶ劇場の橋本さんから、公演の案内をいただく。ええ、必ず観に行きます。それにしても消印を見ると、昨日だ。北九州からでもたった一日で郵便物は届くんだ。すごいな、日本の郵便事情。
■明日は、ネキストサイトvol.2の初日。
 1/12(金)
■午後、DM作業に備えて名簿の整理。ExcelでASCとREPLACEという二つの関数を覚える。夜、麻婆豆腐の素を使って麻婆茄子を作ったが、味が予想以上に濃くて、つい食べ過ぎてしまう。アスパラも茹でたが、その加減を失敗した。ズボンのほつれを直そうと、店に持っていく。2300円だという。仕上がりが26日というのはいかがか。夜になり、ぐっと冷え込む。
 1/11(木)
■S高校へ。三学期。その後国分寺へ、授業。来年度の相談。初日からヘトヘト。明日からまた三連休。週末はあこがれの稽古。ペースがまったく掴めない。普段に本格的に戻る、来週が不安だ。
@niftyからのDMメールで、思わずオンラインで傷害保険に加入してしまう。保険までwebで加入できるようになったか。トラブルもたくさんあるだろうに。保険金詐欺とかの対応は大丈夫なのか。余計な心配をする。
■事故にあって授業が出来なくなると財政的にまずいと判断。同僚は、自転車でこけて二学期まるまる休んでいた。授業はまあいいとして、ユニークポイントを潰すわけにはいかない。保障なきもの、自己責任で保険に入ろうじゃあないか。保険マニアは父親譲りなので仕方ない。
■今日の成人式関連
 1/10(水)
■長かった冬休みも終わり、明日からとうとう仕事である。仕方ないので床屋に行って髪を整える。台本をコピーして図面と一緒にスタッフさんに郵送する。
■夜は授業の準備。
■成人式関連→四国新聞社
 1/9(火)
■池袋のシネマロサで、ダンサーインザダーク。もっと音響の良いところで見るべき映画だった。
■夜、久し振りにテレビをつけたら、筑紫さんの番組で、成人の日の問題をやっていた。今年も予想通りというか、全国のアホ成人の映像が流れている。もちろん若干の演出はあるだろうが、筑紫さんは、「一部の成人の行動」「見直しの必要性あり」と言いつつも、あえて継続して、大人たちがこんな子供を作ってきたという、「負の機会」にしたらどうかと結んでいた。
■いやいや、そんな悠長なこと言わないでくれと言いたい。即刻廃止すべきである。もともと戦後、(これもニュースで見た)新成人を励ます意味で、成人式というのは始まったという。大人(詳しくは青年団の人たち)が始めたのだから、廃止を決定するのも大人でよろしい。ガキに優しくならんでよろしい。来年以降、成人を迎える方で、どうしても式をやりたいというのなら、自分たちで企画してやろう。あとは民間に頼ろう。例えばソニーにお願いして、新成人に、アイボや、PCをプレゼントするイヴェントにすればよろしい。もちろん知事や市長の堅苦しい挨拶は一切なし。ただ集まって、ソニー製品を貰って、友達と写真撮って帰ればよろしい。あれと一緒だ。新築した家から、餅をまくのと一緒だ。じっと空を見て、ソニー製品が降ってくるのを待っていればいいのだ。10年でも20年でも。そのうち、いくらなんでも、気付くだろう。今、多くの大人が伝えたいと思っていることを、彼らは自分で知るだろう。今はそれを待つ時期なのだ。教育問題も、今は「待つ」とこが一番重要なことだと私は考える。
■成人の日でしたから、今日は私も主張してみました。
 1/8(月)
■今日は成人の日だという。私は何を隠そう、アンチ成人の日だ。歴史的文化的背景はこの際無視して、どうも成人を祝うなんてことに意味を見いだせない。もちろん、自分も成人式は出席しないで無視した。各地の成人式の様子がメディアに流れたりするけれど、何となくだらだらやっているという感は否めない。新成人の笑顔にぞっとする。何がそんなに嬉しいんだろうか。子供の七五三じゃあるまいし、高い晴着を買い与える親のこともよく理解できない。儲かるのは、晴着メーカーと、美容室だ。高校を出て、地元を離れた連中が、久し振りに再会する機会と考えれば、意味はあるかもしれないが、それもたかだか1,2年で何が変わるというのか。いつだったか、成人式の講演で、場内私語がひどく、「もう二度と成人式で講演しない」といった文化人がいたが、それは正しい判断だ。そもそも20歳で成人という考え方自体が古い。多くはまだ学生だろう。歴史的文化的背景はこの際無視してと言ったが、成人式は、煙草や酒が心おきなく飲める安堵感を与えるものではないはずだ。同窓会でもなかったはずだ。そして何より、税金の無駄使いじゃあないか?今、地方財政はどこも苦しいはずだ。思い切って成人式など廃止すればよい。その分少しでもいいから住民税を下げて欲しい。人口が少ない都市では誰も文句は言わないはずだ。
■夜、東長崎で稽古。自分で言うのもあれだけど、予想以上に面白い。
 1/7(日)
■夕方から国分寺で授業。帰り、目白までの切符を買うが、やはり東中野に置いてある原付に乗って帰ろうと思い、強行。雪の降る町を原付で走ることが、いかに危険で寒いのか、初体験。これからは雪の日には絶対に乗らないと決意する。幹線道路はいいが、路地に入ると滑る。雪が顔にあたって想像以上に寒い。
 1/6(土)
■昼、巣鴨であこがれの稽古。二度、本読みをする。最初から最後まで、たっぷり一時間かかる。上演時間が心配だ。巣鴨の白木屋で、顔合わせの飲み会。
 1/5(金)
■昼から夕方にかけ、国分寺の塾で今年の初授業を行う。そして明日はあこがれの稽古始め。稽古スケジュールなど、色々と書類を作る。演出家というより、ほとんど制作スタッフになっている感じ。
 1/4(木)
■来月の稽古場を確保するため、静岡の実家から昨日の夜に帰京。向こうではただ食べて飲んで、何もしなかった。仕事を持っていったが、鞄を開ける気にさえなかった。
■明日の授業の準備もそこそこに、夜、青年団若手自主公演「スリヌケル」をこまばアゴラ劇場で。終演後、初日乾杯にちょっと顔を出させていただく。