2001/7

 7/30(月)
■午前中から国分寺へ。午後から授業。生徒がひどく眠そうだ。何なんだ、この「やる気のなさ」は。もう少しテンション高くてもいいのになあ、ひどく残念。FくんやBくんは、このページを読んでくれてるらしい。
■遅刻して稽古場へ。どうも好きになれない稽古場だったが、その理由が分かった。床がクリーム色なので、「明るすぎた」のだ。ずっと稽古を見ていると、目が疲れ、神経が圧迫されていたのだ。俳優には申し訳ないが、試しにサングラスを掛けさせてもらう。とても快適になる。
 7/29(日)
■午前中から公園に集まり、ワークショップの創作発表の準備。2つのシーンをくっつけて再構成。わずかな時間で、(もちろんみんなの努力の賜だけど)なかなか面白くなる。夕方、「青年の恋」の稽古場に移動して、発表。
■引き続き、「青年の恋」稽古。ワークショップの参加者も、ほとんど残って見ている。僕自身があんまり「他の芝居の稽古を見る」ということに興味を感じないので、熱心に見ている見学者のことがひどく気になる。こうもっと、ダラダラして見てくれてもいいのになあ。
■ちょっと打ち上げでもと思うが、みんな帰ってしまった。まあでも午前中からだったし、仕方ないか。
 7/28(土)
■昼から国分寺で授業。
■お台場へ。ク・ナウカ「天守物語」を見る。
■要町で安木くんと明日のワークショップの台本を詰める。
 7/27(金)
■今日も一日涼しい。過ごしやすい。
■夕方から東長崎で稽古。なんとか最後までやる。全体像がうっすらと見えてきたが、まだ霧の中だ。どうにでもなる戯曲ほど「演出」を考えるよな。これはどうすればいいんだ。「演出」とは一体何だろうか。この命題は難しいよ。
■前回の「あこがれ」は、戯曲を忠実に正確にやることだけを考えていた。その前の「カンガルーと稲妻」は、自分が恥ずかしいと思ったり、長いと思ったところを排除していった。すべて自分というフィルターだけを通して芝居を見ていた。で今回はどうか。排除だけでは駄目なような気がしている。引き算の演出などという言葉がよく使われるけれども、引き算だけでは駄目なこともきっとあるだろうし。過度に足さない、極端に引かない。それで冒険心を持って。そうだよ、いいじゃないか、これで。
■演出家の出現は、そんなに以前からあるわけでなく、ごく最近のことだという。誰だったか、芝居は気の利く俳優がいれば、演出家なんていなくても十分面白くなるとも言っていた。もちろん、ギリシャ悲劇の時代に演出家なんていない。集まった市民の中で優秀でリーダシップの取れるものが、おそらく現代でいう「演出家らしき」存在であったのだろう。稽古の予定から、恐らく衣装、小道具に至るまで神経を張り巡らせていたに違いない。演出家という概念さえなっかった。
■もちろん現代人が見たら、その役割は演出家に違いないのだろうけども。演出家の出現は、どんな欲求から定義されたのか、ちょっと調べてみよう。
■そしてまた堂々巡り。演出とは何か。
 7/26(木)
■大変涼しい一日だった。千川で稽古。ぴあの方が来て、取材。カメラマンも同行。色々話す。話すのはいいが、写真を撮られるのには慣れていないので緊張。いいのか、俺で。
■で稽古。3場構成の1,2場を通してみる。俳優は台詞を思い出し思い出し。まあ間があいたので仕方ないか。でも面白いですよ。久々にこういう芝居も。
 7/25(水)
■雨が上がるのを待って、国分寺へ。鰻重が机の上においてある。そうか、今日は土用の丑の日だった。塾長からの差し入れ。あまり腹は減っていなかったが、食べる。美味い。
■高校2年のクラスは運動部の合宿ラッシュ。欠席者が何人もいて少し寂しい。合宿といえば、8月は私達も合宿に行くのだ。
 7/24(火)
■暑い、暑い。クーラーが利かないくらい暑い。
■今日は稽古場が取れなくって、早稲田在学中の池尾さんにお願いして、学生会館で稽古。実は以前、何の芝居の時だったか忘れたが、一度だけ稽古をしたことがある。以前といっても、もう何年も前の話。その時は、隣で絶叫系の芝居の団体が稽古をしていて、こちらはさっぱり稽古にならなかったのである。さて、今日はどうだったか。
■半分ゲリラだったので、19:30で部屋を追い出される。稽古正味35分。これだけ芝居をやってきて、35分の稽古というのは始めて。中途半端な気分そのままに、飲む。innerchildに出ていた成川さんも今日から合流。全員揃う。
 7/23(月)
■左目の痙攣がおさまらない。睡眠不足と疲労が原因と思っていたけども。どうしたことか。
■昼過ぎに、下北沢へ。劇場の下見を装置の福田くんと。その後国分寺へ。授業。二日も稽古を休んだので、色々考える時間があったのは幸いだ。それにしても暑い。
 7/22(日)
■昼から要町でワークショップ。考えると、今日のワークショップの稽古場と、ワークショップをやる、という予定は、6月1日に決まっていた。で見事にダブルブッキング。授業の予定が入ってしまった。仕方なく早退して国分寺へ。
■前半、失敗。後半、少し盛り返すものの、生徒に元気がない。
 7/21(土)
■昼、モリエールへ成川さんの出ているinnerchildという劇団の芝居を見に行くのだった。整理番号順の入場だったのだが、なかなか中に入れてくれない。前の番号の客が入ってから、次の客が入るまでのタイムラグがもの凄くある。よっぽど複雑な客席構造なのだと思っていたのだが、会場に入ると別にただの客席だ。じゃあ、一体何だったんだ。あのタイムラグは。わざとか。きっとわざとに違いない。渋滞と一緒で、その先にあるものが見えないと、人はイライラするのだ。でも作品は、私をイライラさせることで、何か相乗効果的にいいことがあったかといえば、決してそんなことはないだろうし、そう考えると繰り返しになるが、きっとあれはわざとだ。
■作品は、作家性が高く、好きなタイプのものだった。面白いかと言われたら、それはよく分からない。でも、しつこいくらいの執着心。ああ、まだ可能性はあるのだな、演劇にも、と勇気づけられる。最近悲しくなるんだよ、「演劇の限界」を感じさせる芝居をみると。
■夜、巣鴨で稽古。
 7/20(金)
■夜、OFFOFFシアターへタイプス「バンク・バン・レッスン」を見に行く。ショーマの高橋さんの戯曲。で色々考える。
■改題前の「パズラー」という作品の初演は、サイトによると、初演は1984年だ。今から17年前か。第三舞台が今年結成20周年ということは、彼らが世に出始めた頃ということである。その頃、私は中学生。きっと社会全体が何となく浮ついていたんだろう。誰もが21世紀は希望の世紀と疑う余地もなかったろう。学校で体罰をした教師が新聞の三面記事を飾ったり、男女を巡る様々な問題も議論されていなかった。禁煙席という概念も日本にはなかったろうし、電車の中で携帯で話す奴もいなかった、文章でコミュニケーションするということがどんなことか誰も分からなかった。演劇はそんな時代の中で確実に消費されてきたのだ。いくつかの劇団は倍々ゲームのように観客を集め、一部のマスコミが大々的にそれを煽った。
■問題はその結果、日本に演劇文化が根付いたのかということだが、誰もそのことに触れようとはしない。一度は思ったはずだ。「普通の人々が演劇を見るような社会になればいい」と。もう二度とその繰り返しはしてはならない。演劇表現は時代とダイレクトに結びついているのだ。
■遠くを見ようと思った。可能な限りの遠くを。それができての「演劇の可能性」である。
■今、どこへ行き着いたのか。生まれては消えていった、星の数ほどの作品よ、劇団よ。
 7/19(木)
■夕方から東長崎で授業。こう、一見単純な登場人物の関係が、稽古するたび変化して、複雑で意味のあるものへ変化していく。稽古のダイナミズムの一つだ。問題は、これをどう整理して提示するのか、だけれども、これが演出の仕事の難しさでもあり、楽しみでもある。稽古後、飲みながら、ほとんどの人が帰ってしまった後に、そんな話しをする。気が付けば、泉くんは寝てるし。3時前に帰宅。
■飲みながらじゃあなく、稽古場でそういう話しをしてくれと、過去に何回か言われたこともあるけど、他者と話し、対話を重ねることによって、始めて生まれてくる言葉だってあるのだから仕方ないよ。飲みながら、うだうだ話しているうちに、思いつくことも確かにある。
 7/18(水)
■昼から国分寺で授業。90分×4コマ。さすがに、ぐったり。
京都新聞のこの記事だけれども、結果はともかく、所得と関連づけて調査しているというのが、何とも言えず滑稽だよなあ。教授が思い立ったのか、それとも理学部、もしくは企業からの注文があったと考えるのが自然なような気がする。学問の世界は分からんよ。
 7/17(火)
■昼、ぴあへ。担当のMさんと話し込む。しかし何度行っても迷うなあ。ぴあ。最後は集荷中の郵便局員に場所を訊くのだった。大抵、どこでもたどり着けるのに、なぜ「ぴあ」だけがいつも。
■夜、稽古。だいぶ空気が出来てきたが、まだまだ。じっくりやってやる。
■明日は昼から4コマ授業なので、その準備。ファミレスで。テスト勉強に追われる大学生多し。そして突然の雨。
 7/16(月)
■国分寺で授業。いつものファミレスの隣がスイミングスクールなのだが、小学生が夏休みに入り、一段と盛り上がってきていた。ちっこいのが、50人くらいおそろいの体操着を着ている。
 7/15(日)
■昼、要町でワークショップ。課題を全然やってこないWに腹を立てる。もちろん作業が滞る。演劇表現には集団での創作が必要であり、一人のわがままが人に迷惑を掛けるという、まともな人ならば理解できそうなことすら分からないようだ。
 7/14(土)
■シアターVアカサカへ、風琴工房「sol plastic」を観にいく。終演後、すぐに新宿へ、打ち合わせ。千川へ、稽古。それにしても暑い。黙っていても汗が出てくる。
 7/13(金)
■夜、東長崎で稽古。1場をやる。台詞もだいぶ固まった。夏だし、なるべく上演時間を短くしたいが、次々に台詞を追加していったので、演出助手の安木に、20分もかかってますと、時計を見せられ、ぼそっと言われる。
 7/12(木)
■例の教科書問題、あんまり気にならなかったが、今日この記事を読んだ途端、何だか気になり始めた。歴史は解釈の部分が多いので、この溝はなかなか埋まらないだろうな。
 7/11(水)
■昨日から「青年の恋」の稽古が始まっている。いよいよ、梅雨もあけたようだし、夏である。今年の夏は稽古の夏である。
■夜、ひたすら自宅で期末テストの採点に追われる。疲れる。
 7/9(月)
■午前中、郵便局で企画書を郵送。小竹向原のサイスタジオへ。風琴工房の稽古場へチラシを持っていく。それから授業の準備、国分寺へ。
 7/8(日)
■午後、ワークショップ。俳優が不足のため、創作の発表に役者として参加する。いや、楽しかった。確認にもなった。貴重だ。
■新宿へ。サンモールでFiesta!を。
 7/7(土)
■昨日、姪が母親と家に遊びに来た。狭いのに。忙しくて、せっかくなのにあんまり遊べなかった。だから、というわけでもないけど、朝S高校に出勤する前に、家の近所のコンビニに一緒に買い物に行ったりして。もうすぐ三歳になるんだけど、結局一言も口を利いてくれなかったよ。
■トラムでTHE・ガジラ「ベクター」をみる。
 7/5(木)
■昼間、新宿シアターサンモールでFiesta!に折込み。サミットのチラシが帯(チラシ束の表紙)になっていたのだが、変形サイズなので、やりにくくて仕方なかった。すぐバラバラになってしまう。
■それから国分寺へ移動、授業。
演劇TVというサイトに泉くんの記事あり。