2002/1


 1/31(木)
■大山の郵便局へ行き、できあがったDMを別納郵便で投函。市谷から半蔵門のぴあへ行き、掲載用の写真を担当のMさんに届ける。それから国分寺へ、授業。ベクトルの成分表示について喋る。夜、俳優の山路さんを呼んで、DMの整理作業。何だかすっかり制作者である。
■一度、利賀か何かで、劇団の主宰者は演劇の制作者として有能か?という話をしたことがあった。風琴工房の詩森さんなんて、優秀だもんな、かなり。だいたいは制作スタッフがいないので、(もしくはいなかったので)仕方なく自分でやらなくてはいけなくなり、自然と身についた能力だよね、とまとまったような気がする。もちろん逆の、制作やらせたら危なくて仕方ないという主宰者も多いが、まあどっちかだ。

■さてついさっき「なんだかすっかり制作者」と書いたが、別にすねたり、いじけたり、文句を言ったりしているのでは決してない。制作の仕事は嫌いではないし、プライドを持って取り組める仕事だ。「脚本家なのに制作なんて」という一種の格好悪さも微塵も感じない。問題なのは、やっている作業量を、いつも自分は演出をしながらこなしているという事実だ。
■だから何というか、切羽詰った状況で動くものだから、アドレナリンがきっと出ていて、自分がやっている作業量について冷静に考えたりしない。そんな余裕もないし。でも今回は、それらのこともひとつ書き留めておこうと思ったのだ。

■以前は「制作を探さねば」と結構焦って、いろいろ声を掛けたりしていた。でも最近は、いないのなら、いないなりに何とかしようと思うようになっている。
■これは恐らく二つの理由があり、一つは自分より優秀な制作者はなかなかいないだろうという考え。二つ目は予算である。
■制作者にはギャラを払う。これまで色々な人が制作らしきことをやってくれたが、どれもあんまりうまくいかなかったのは、やっぱりこの問題だと思う。考え方が幼かったと認めざるを得ない。自分は制作者と作品だけで繋がりたくないのだ。作品だけで繋がった関係は長続きしない。「作品」の部分を「理想」と書き換えてもいい。

■やはりいつか出会うだろう制作者には、少なくとも自分より、劇団名と劇場名についてよく知っていて欲しい。演劇という世界に通じていて欲しいと思う。そして、作品は基本的には好きだが、作品のために仕事をするのではなく、仕事を通じて、自分の中に確固とした野望と夢を持った人と出会いたい。その野望は決して劇団を大きくするとか、有名にするとかといったありきたりのことではなく(もちろんこれがないと困るが)演劇を通じて自分はどんなことが出来るのかという野望だ。それは誰にも話さなくていい。したたかに、でも自分の胸の中で少しづつ進んでいける自立した人。そういう人にどうやってギャラを支払うのか、それが二つ目の理由だ。逆を言えば、そういう人以外には一円も払う価値はないではないか。自分にできることを他人には頼まない。まあ実費とかは別だけど。

■演劇の制作はきっと面白い。アルバイトを続けながら俳優をやっている人がこれだけいるのだから、きっと同じように制作を目指す人がいるはずだ。でもいったいどこにいるんだ?
 1/30(水)
■S高校で授業を終え、チラシ6000枚をアゴラへ持っていく。そのまま冒険王を観る。調光室隣の席をリクエスト。
■そのまま銀座へ向かい、ぴあ掲載用の写真をピックアップ。一度家に帰り、環七を下って高円寺の稽古場。焼肉屋でミーティング。生ビール190円、カルビ280円は狂牛病の影響とはいえ、安い。
 1/29(火)
■S高校での仕事を終え、池袋へ。銀行へ向かい、その後警察。免許の住所変更などをやろうと思ったのだ。予想はしていたが、窓口に座る警察官はやはり警察官だった。初対面なのに、いきなりタメ口。「変更?そこにあるからさあ、書類、書いてよ。え?何?だからさ」などと偉そうに命ずる。すぐ前の人は、沖縄から東京にきた人らしく、何だか半分泣いたような顔で、ありゃはっきり言って完全にびびってた。東京は怖いなあ、と実感したに違いない。この横柄さは、もはや「笑い」だ。腹を抱えて笑ったよ。あははは。大声で、というのは嘘で、足早に警察をあとにする。あんまり行くところじゃあない。
■夜、みなに家に集まってもらいDM作業。チラシを折って封筒につめて糊付けする。夕方から始めて夜中に終了。ふー。
 1/28(月)
■S高校で授業。3年生は高校生活最後の日。明日からは卒業試験である。
■夜、国分寺へ。こちらの3年生も最後の授業。気の利いたことなど何も言えない。ただ胸の中で「頑張れ」とつぶやくだけだ。
 1/27(日)
■昼、ここの家の持ち主であるTさんが来る。色々あるゴミだか、何だか分からないモノを捨てる許可をもらう。これで物置もすっきりする。
■夜、阿佐ヶ谷の稽古場に。最初から一度通すということで、見学に行く。いやいや、面白いよ。照明もセットもないし、途中何回か止まったが、全然集中を切らすことなく見入ってしまった。興奮する。楽しみ。予約はお早めに。
 1/26(土)
■チラシをアゴラに持っていく。途中から、雨だか雪だかが降り始め、到着する頃には本格化。濡れるのはいいが、寒いよ。おまけに道が混んでいて、時間もいつも以上にかかる。
■帰りに、中野へ。Liveupcapsulesというところの芝居を見る。面白いのは、当日パンフが二つ折りになって、そこにシールが貼ってあることだ。すぐ下には「公演終了後にご開封ください。」との文字。つまり、公演前に開けるなということだ。何か重要なネタばれか、そういう演出意図だろうと思って素直に従う。なんだかわくわくするし、なかなか巧いことやるなあと感心していた。
■家に帰り、シールを剥がしてみる。すると、そこには作者の短い挨拶と、配役と、スタッフの名前があるだけである。期待したトリックはなかった。

■一体何だったんだ。何かを強要されたようでいい気分ではない。で、ちょっと考えて、もしかしたら上演中に客が配役表に目を落とすことを嫌ったのかなあと思った。

■演出家として本番を客席の一番後ろなどで見ていると、舞台は進行しているのに、配役表などの当パン(=「当日パンフレット」を略し通常こう呼ぶ)などを見る客は多い。これは何というかある種屈辱的な思いがする。魂込めて作った芝居の方を見てくれと思う。配役表など(時には挟み込まれたチラシも)はやめてくれと思う。

■しかし、マナー違反か?と言われれば、それは違う気がする。携帯が鳴ったり、煎餅をボリボリ食べるのは明らかなマナー違反である。それは他の客に迷惑がかかるし、言語同断、強制的に排除してもよい。しかし、当パンを見る客を強制的に排除はできない。なぜならそれはマナー違反ではないからだ。あえて言うなら、その行為は客が作り手に対しての行ったマナー違反と言えるかもしれないが、それを心配したり気にするのは、無駄なエネルギーのような気がする。

■さて真相はどうなんだろう。

■と、ここまで書いてまた考える。つまり、公演終了後、これは劇場の客席で見るべきものだったのかと。つまり、あれだ、映画のエンドロールみたいな狙いがあったのかもしれないな。映像でやるところもあるし。ああ、そうだ、きっとそうだ。

■しかし、上に「強要されたような」と書いたが、そもそも芝居を観客に見せる行為も一種の「強要」になる場合もあるし、なかなか難しい。ある時間を拘束して観客に芝居を見せる劇場という空間はまさに究極の「強要」になることだってある。
 1/25(金)
■S高校で授業。睡眠不足で異様に疲れる。
■午後、役所を回り、転出転入手続き。豊島区から板橋区へ。さらば豊島区、よろしく板橋、そんな心境になる。何だか笑える。
 1/23(水)
■午前中、S高校。初めて新しい家から原付で向かう。以前より10分ほど早く着くことが分かる。それで安心して遅刻などしなければいいが。
■夜、曙橋のENBUゼミへ。東京オレンジの横山さんに呼ばれ、ワークショップをやったのだった。総勢17名ほど。思いのほか、みな一所懸命だが、3時間という時間の制約の中ではどうしても何かしら中途半端になる。どこに主眼をおくがが課題だったが、果たしてどうか。楽しい時間を過ごす。
 1/22(火)
■引越しは無事に終了。新しいところで、コンピューターの配線をするのが何だか楽しい。コードを差込み電源を入れると、いつものようにブーンと動き始めた。
■一つ気になるのが、猫が塀の上を夜中徘徊することで、慣れぬ人が窓越しにそれを見ると、どうやら人間に見えるらしい。つい「今、人」と言われ、そのたび「ありゃ猫だ」と答える。しかも発情期なのか、あの子供のような鳴声である。
 1/17(木)
■寒い。
■風呂に二度も入り、国分寺へ向かう。それでも中央線は人身事故だ。ずいぶん遅れて国分寺着。いらいらする。
■授業終わって銀座へ。チラシの最終打ち合わせ。終電を気にしながら、色々話す。急いで新橋へ。それで今度は山手線が人身事故だ。人身事故だ。無意味に二回繰り返してやる。それで夜中にやっと家に帰る。引越しの準備は全然進まない。もっと楽しまねばいけない、引越しは。
 1/16(水)
■夜、スズナリで風琴工房「ゼロの柩」。身を乗り出して見た。今週20日まで。
 1/13(日)
■那覇の成人式でまた暴動だ。昨年の暴動から、どこも警備体制か強化されているようである。この現象から日本の未来を憂いたりしても仕方ないし、実際に暴動を起こすものは、ごく一部だと思うので、新成人について文句を言うのも筋違い。一番気になるのは、実際に警備にあたる警察官や、式を運営する役所の人のことだ。いったいどんな気持ちでいるのだろうか。
■そしてまたその様子を伝えるテレビの人。みな一様に難しい顔をして、失望したような顔をしている。そしてまたそれを見たものが、また新たに失望する。不況をデフレ・スパイラルと言うならば、これを失望・スパイラルと名づけよう。
■情報で溢れた近代社会が自立をするためには、個がこういったスパイラル構造と上手に付き合うことが必要とされている。
■そう考えると、希望は情報の中から探すものではないようだ。そういえば、人は探しがちだ。どこかに何かないかと。そういう時には、あまりいいことはない。

■午後は、板橋の家の掃除。夜は、阿佐ヶ谷に稽古を見に行く。その後、深夜まで飲んでいた。
 1/12(土)
■S高校で授業。いつもそうだが、学期初めというのは、なんというか、気持ちを入れ替える生徒がいる。今度こそは、しっかり授業を聴こうと決意するもののこと。自分の学生時代にもそんなことは多々あったが、長続きしないものである。今日も、そういう生徒は大勢いたが、ひどいものは、50分の授業が終わる頃には、もうその決意が揺らいでいたのだった。最初はノートをとっていたりするが、気がつけば寝ていたり。そのあたりは、今も昔も変わらないところか。
■午後、下北沢の「劇」小劇場へ、6月公演の劇場契約に行く。帰り、今日初日を迎える風琴工房に差し入れをもってスズナリへ。
■夜は高田馬場から東西線で南行徳というところに行く。8月に、演出として公演に参加することになっていて、その集まりがあった。実際の時間のわりに遠く感じるのは、恐らく都心から離れていくという意識が働くからで、移動にかかる30分が思ったよりも長かった。街を歩けば、やはり全然雰囲気が違う。一体街の雰囲気は、どうやって醸し出されているのか。風景、人、店、それと暗闇の質などではないか。
 1/11(金)
■今日からS高校も3学期が始まった。同じ3年生でも、この学校の3年生のほとんどが、推薦入試で進路が決まっているので、ただ時間を消化しているようなクラスの雰囲気である。卒業試験にあわせて、残りの授業はほぼ中学の内容を扱うことになる。そうしないと、卒業できないものが出てくるらしい。高校3年生の卒業試験が、中学の内容というのも気が引けるが。昨日書いた3年生とは正反対の集団性。それもまたよし。色々な高3がいるものだ。
青年団「冒険王」のマチネをこまばアゴラ劇場へ。作品が素敵で、久しぶりにいち観客として舞台を見た。また「希望」について考える。
 1/10(木)
■夕方から国分寺で授業。3年生はいよいよ受験がすぐそこに迫り、勉強よりも、精神的にきつそうなのがよく分かる。が、何もしてあげられない。いつもこの時期になると思う。「圧倒的に何もしてあげられない」という事実に直面して。
 1/9(水)
■どうも体調がよくない。頭痛がするので、起きてすぐに風邪薬を飲み、また寝る。2時間ほど寝ると、すっきりした。
■夜、高円寺の稽古場へ。稽古を見学する。作者は孤独だ。それでまた飲みにいく。寝て、酒飲んで、また寝た一日。
 1/8(火)
■引越しの準備。

■村上龍の「共生虫」の中にこうあった。

自意識の増殖にネットでのコミュニケーションは耐えることができませんから病気の芽を持っている人間はすぐに病気になります。一度ネットで病気になった人間はネットにいる限り病気から逃げられません。

■何となく気になる。
 1/7(月)
■昼、トラムでreset-N。何もないトラムの空間は素晴らしい。平日の昼間、それほど混雑もない劇場入口に、10名ほどの受付スタッフというのはさすがに多すぎるよ。一斉に「いらっしゃいませ」と言われると、どんな顔をしていいのか分からない。うつむくしかない。それで気がつけばなぜか憂鬱な人になってしまった。
■帰りにアゴラとネビュラに寄り、帰宅。
 1/6(日)
■昼から国分寺で授業。
■授業を終え、チョークがついた手のまま、急いで阿佐ヶ谷へ移動。休日ダイヤなので、時間がいつも以上にかかる。「水の中のプール」の稽古始め。とはいっても、本読みをするわけでもなく、1時間ほどで終了。場所を移し、夜中まで飲む。
 1/5(土)
■奇妙な夢を見る。芝居の仕込みをしていると、小道具として水槽が必要になり、Yに買いに行かせる。Yは100万もする水槽を買ってきた。中には熱帯魚までいるし、変な水草のようなものもある。もの凄く怒る。どうするんだ100万も。誰が払うのかと。すると場面が変わり、宗教家らしき人物がやたらに褒める。あぐらをかいたままジャンプしろという。実際にやってみると、私のそれがどうも凄いらしく、周りのものが拍手をし、奇声をあげる。首を傾げたまま、またYにスキャナーを買いに行かせる。すると、ものすごくデカイスキャナーを買ってきたのだった。またそれで怒る。
■昼過ぎから国分寺で授業。
■一度家に帰り、夜になってまた吉祥寺へ出かける。打ち合わせ。
 1/4(金)
■あけましておめでとうございます。2002年もどうぞよろしくお願いいたします。

■年末から静岡の実家にいた。本を何冊か読み、川根の温泉に行き、露天風呂などにも入る。正月らしい正月。友人に結婚したものも増え、その一人に会って色々と話す。何年たっても同級生と会うと必ずくだらない話になるわけだが、相手に連れがいるとその状況も少し変わる。かと言って「友人の結婚」は、予想以上に特別なことではなく、あ、そうなんだ、というくらいだ。このへんの気持ちをうまく文章に出来ず、イライラするが、あんまりドキドキしたり、決定的に何かが変わるわけでもないのだった。

■個人的には今年は取り巻く環境が少しずつ変化する予定なので、それに対応していかなくちゃならない。だけれど、その一つ一つは、終わってみれば大したものではないのではないか。そんなことを思う。

■今年は、2月、6月、8月とユニークポイントだけじゃあなく、いろいろな人との共同作業の年である。冬にも一本あるしな。あと、いよいよドメインも取り、サイトのデザインも一新したい。脚本も何本か書くし、相変わらず授業もやる。ワークショップなども増えてくるだろう。

■仕事は一見バラバラのようだが、実は意外にみんな繋がっている。なにしろ本当にバラバラだと、その前に自分がバラバラになってしまう。「うまく繋げること」が大切なんだ、きっと。