2002/4

 5/1(水)
■4月も終わってしまった。ずっと台本の手直しをしていて、他に何か書くという気になれなかった。
■「ペリカンの群れ」は昨日から稽古が始まっている。まだお互い慣れていないのでぎくしゃくしている。稽古期間は短い。焦らずにやるだけである。
 4/21(日)
■6月の稽古の前段階として、3回ワークショップをやった。当初は、この期間中に配役を決めてしまおうと思っていたのだが、女優の集まりが極めて悪く、目的は達成されなかった。
■それで今日も女優は誰も来ない。最初、中止にしようかと思ったが、男ばかりの稽古場でいつもは出来ないようなことをやる。久しぶりに楽しい稽古。一日雨だった。
 4/18(木)
■S高校で授業。1年生は、オリエンテーション。二泊三日の日程で、どこかに泊りがけで行っている。そんなわけで、3時間目だけ45分の授業。
■オリエンテーションで、新1年は、どんなメニューを課せられるのか、行ったことはないので分からない。多分、校歌を歌ったり、学校についての説明を受けたり、クラスの友達と仲良くなったりするのだと思う。このタイミングで学校を辞めるものも必ず出てくる。今の二年は、一クラス減った。つまり、40人くらい辞めたのだった。本当にすぐに辞める。これは誰が何と言おうと事実で、「辞める」選択は彼らにとっては、それほど大したことではないのだろう。
■夜は国分寺へ、授業。
 4/17(水)
■夕方、新宿で装置の福田君と打ち合わせ。そのあと銀座でチラシの打ち合わせ。家に帰りサッカーを見るものの、やはり中田のいない試合は、どうもぼやけて見える。ことごとく1対1で負けてしまう。身体能力の差を、戦術でカヴァーする日本サッカーの戦略は間違ってはいないし、もちろん勝つために必要だろう。しかし、一瞬の判断、1対1の局面における身体の強さというのは、戦術では補えないのだ、とはっきりした試合だった。
■それに、選手に勝つんだ、という欲求が足りなかった。敵は同じポジションのライバルで、コスタリカではなかった。
 4/10(水)
■S高校では、ぼちぼち授業が始まっている。ぼちぼちというのは、写真撮影や健康診断など、年度始めらしい行事が途中入るからで、授業は潰れがちになるからだ。なかなかペースがつかめない。
■今日の新聞は、新学習指導要領のことでいっぱいだった。意見もあるが、またいずれ書こう。とりあえず、もう少し調べないと。ただ、授業数削減>保護者の不安感>学習塾の株価上昇、という一連の流れに、一体誰が得をして、そしてどこに皺寄せがくるのか。それが議論のポイントなような気はする。
■夜は、ザムザ阿佐ヶ谷へ、今度一緒にやる小長谷さんの出ている芝居を。
■台本は、第3稿を。気持ち悪かった部分がはっきりし、思い切って設定を変えたところ、何とか立ち直る。ある対談で、河合隼雄が村上春樹に、頭で考えても駄目、書くことだ、みたいなことを言っていたことを思い出す。うろ覚えだけど、多分、そんなことを確か言っていた。
 4/4(木)
■S高校で、新年度の打ち合わせ。理事長と、学校長の話を1時間あまり。メモをとりながら(しかもびっちり)聞くものもあれば、私のように、目を閉じて聞いているものもいる。
■肝心の内容は、生徒数の減少、時代にあった教育、ITがなんとか、どこかの本に載っているようなものだった。一体、ホームページの充実が、生徒数の増加に繋がるのだろうか。中学生が、ホームページを見て、本当に入学を決意する、そんなことはあるのだろうか。それにOO.ac.jpドメインのことをOO.ドッドコムと呼ぶのは、間違ってはいないのだろうか。
■えらく場違いな場所にいるような気がしてならない。
■この職員会議というのが、一番学校の嫌いな場所と時間だ。出席するのは一年に一回だけだけど。

■ただ、四月だ。新しい顔ぶれも多い。それはそれで楽しみ。

■夜、国分寺へ。弧度法、合成関数、数列の極限について、2コマ3時間喋り続ける。東中野の駅に張ってある、極左過激派の指名手配写真を横目に見ながら、帰りの原付は寒くて凍えそうだった。