フェルマーの最終定理

作・演出 山田裕幸

#2015年2月4日~8日

#下北沢シアター711

フェルマーの最終定理が証明された瞬間に偶然立ち会った日本の数学者たちを描きました。 たくさんの数式が登場しました。

17世紀、フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーが「この定理に関して私は真に驚くべき証明を見つけたがこの余白はそれを書くには狭すぎる」と書き残したフェルマー予想は、その内容の簡潔さゆえ、何人もの数学者やアマチュア研究者が証明に挑みましたが、なかなか証明されませんでした。1993年、イギリス生まれの数学者アンドリュー・ワイルズは秘密裏にこの証明を研究し、1995年、誤りがないことが確認され、ついに最終決着となりました。証明まで実に360年もの歳月を要したのです。本作「フェルマーの最終定理」は、ワイルズがフェルマー予想を証明する歴史的講義に立ち合った、若き日本の数学者たちを巡る物語です。

私は大学で数学を学び、今も数学を高校生に教えたりしている。劇作家=国語というイメージが強いのは理解はできるが、劇作というのは数学的な思考がどうしても必要とされる。もちろん書きたいものがあるから戯曲を書くわけだが、意欲だけではなかなか戯曲は書くことができない。資料を読み、登場人物を配置し、プロットを組み立てていく行為は数学の問題を解くことによく似ている。最初は抽象的でなかなか意味が分からない問題も、あきらめずに付き合っていくとだんだん具体的なものになっていき、やがてよくある数式へと帰着する。問題が解けるときはほとんどがこのパターンなのである。私だけではなくおそらく多くの劇作家にとって、戯曲のヒントを得、実際に書き始めるまでの過程は、このような感じのはずである。
(文/山田裕幸)

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Media

Cast / Staff

洪明花 北見直子 古市裕貴 ナギケイスケ
古澤光徳 平佐喜子(Ort-d.d) ヤストミフルタ

プロデュース 山田裕幸
照明 福田恒子
音響 三木大樹
音楽 ヤストミフルタ
演出助手 水田由佳
制作 河野悟

演出家による日記

2015年1月19日 16:51
新作「フェルマーの最終定理」は、1993年のケンブリッジ大学が舞台です。
僕たちからしたら「天才」といってもいい学者たちが登場します。
学生も登場しますが、それも数学科の博士過程の所属ですので、まあ、それなりの人たちです。

稽古の最初に稽古場で俳優にアンケートのようなものをとったところ、ほとんどの俳優が「数学は苦手だった」と答えました。
おそらく、世間一般のイメージとして、数学は苦手なもの、というものではないでしょうか。

台本は一応最後までできました。
たくさんの難解な数式も登場しますが、芝居はもちろんそんなことわからなくても楽しめます。
ぜひご来場ください。

1月20日 13:00
「フェルマーの最終定理」は2組の同級生3人組が、物語のようなものを担うことになっています。
物語なようなもの、と書いたのは、この作品の物語は「数学すること」にあると思うから。

ただ、数学だけだと、理解するのに戸惑うので、補助線として同級生を登場させています。
しかし、その2組は微妙に歳が違います。

ある程度、人生の方向性を決め、粛々と歩む世代と、まだまだ先がわからない、まだまだ冒険ができる世代。
2組を描くことで「青春」を僕なりに描こうと思っています。

しかし、先ほども書いた通りあくまで主役は「数学」です。
俳優の脳は、今、かなりの混沌状態、カオスです。
俳優ってすげーなーって僕ですら思う作品です。

初日は2月4日です。
予約はコリッチで受け付けていますので、ぜひご来場いただければ幸いです。

1月21日 1:08
今日は「フェルマーの最終定理」を最初から最後まで通してみました。
俳優からは色々な感想が挙がりました。
僕の感想は「あなたの脳を刺激しちゃうよ」でした。
すいません・・・最後まで頑張ります。

1月21日 14:21
デイヴィッド・オーバーンという劇作家の戯曲『proof』という作品があるのですが、
その上演を見ながら「いったいなんの証明をしているんだろう?」って、
数学者同志なら、専門的な話もするだろうなあーと見ながら思っていて、
だから今回の作品は、きちんとその背景も盛り込みました。
登場人物たちが、何の研究をしているのかがわかります。

1月26日 12:00
新作「フェルマーの最終定理」の稽古は、すでに佳境です。
つい私たちは最低限の努力で(時にはそれを金で買うことも視野に入れ)、最大の成果を出すことを考えがちです。
高校生なんかも、いかに勉強しないで、いい点数を取るか、そればっかり考えている。
でも同時に、コツコツやらなければ、苦労しなければ何も、(本当の意味で)身につかないってことにも気付いている。
だけど人間はそんなに強くない。僕も。
「フェルマーの最終定理」に出てくる数学者は、考えることが仕事の人たち。
遠回りすることを苦にしない人たち、考えることが何よりも好きな人たち。
今の日本に、どれだけ自分の頭で考えている人がいるだろうとも思う。
バランスだけを考えたり、損得を考えることばかりが得意になってはいないか?
2月4日から始まります!

1月28日 14:59
新作「フェルマーの最終定理」いやあ、もう来週初日かあ。
稽古時間はそれほど変わらないんですが、稽古日数はいつもの3分の2くらいなので、すごく短く感じます。
しかしその分、稽古場の密度はいつもより濃い。
寸暇を惜しんで話す、試す、議論する稽古場です。
ぜひみなさん観に来てくださいね。

1月29日 10:28
私は大学は理学部数学科というところに行きまして、5年かかって卒業しました。
しかしまあ予想通りというか、演劇ばっかりやっていたので、授業にはあんまり出た記憶がございません。
毎日、昼頃学校行って、だらだらアトリエで過ごして、稽古して帰宅するというのが日常だったような・・・
あとの時間はいったいなにをやって過ごしていたんでしょう。
さっぱり覚えていません。
とまあ、まったくひどい大学生活だったので、今、エラそうに高校生などに数学の講義を日々やっている自分が信じられない。
そもそも高校時代は、京都大学に入って宇宙物理学をやりたいなと思っていたのです。
現役の時も、どこかの大学に合格はしたのですが、その希望を叶えるべく浪人しました。

なぜ宇宙物理だったのかというと、竹内均先生という物理学者のモノマネが得意だったからという。
まあこれも今考えると「どうかしている」動機なんですが、高校生なんてそんなものじゃないですかね。今も昔も。
ちなみに竹内先生はあのニュートンという雑誌をお作りになった学者です。
今の40代以上の人はご存じだと思います。
鼈甲メガネをかけた、個性的な先生。

それでまあ、そんな実力がないことを、浪人時代、代々木ゼミナール時代に知って、流れに流れて学習院の数学科にたどり着くのです。
これも出願直前に予備校の寮で知り合った友人の姉が在籍しているからという理由で、物理学科に印をつけたのをいったん消して、学習院だけ数学に印をつけて出願したのです。
他に立教とか、早稲田とか、明治とかも受験したけど、みんな物理を受験しました。
そして合格したのは、学習院だったと。ただそれだけ。

つまり僕は大学で数学がやりたかったわけでもなく、将来にやりたいことがあったわけでもなかったのです。
本当にたまたま数学科に入学し(勉強はしなかったが)、たまたま今ここにいるんです。
個人的には、このぐらい適当に進路を決めてもいいじゃないかと思っています。
だって僕自身がそうだったから。

でも今はそんな時代じゃないのかもしれませんね。
経済的にも時代的にも余裕がない。
さて「フェルマーの最終定理」ですが、ここに出てくる学者や学生は、もっときちんとした人たちです。
数学をやりたくて、数学をやっている人たち。
こんな人生でもよかったなあと思いながら稽古してます。
だけど、もし違う人生だったら、今の奥さんにも子供たちにも会えなかったと思うので、今のままでいいか。やっぱり。

1月29日 11:53
「フェルマーの最終定理」の登場人物。
なかなかすごいでしょう。
岡弘子 ケンブリッジ大学助教授
伊原圭吾 プリンストン大学教授
伊原洋子 元東大助手
黒川琢磨 ケンブリッジ大学講師
大沢恵 東京大学理学部数学科 博士課程2年
森隆 京都大学大学院 数学専攻 博士課程2年
片山敏也 東大病院 研修医

2月1日 12:10
さて、稽古も残すところあと2日。
今日は、通しはしないで、昨日の通しで感じた部分を稽古して、おそらく終わるだろう。
明日一回通します。

今、劇団では「アイアムアンエイリアン」と「タヌキさんがやって来た。」が、なんとなくレパートリー化しています。
あんまり大がかりな装置が不要であるということと、ある程度、色々な層に楽しんでもらえる内容なので。
このフェルマーの最終定理も、そういう意味では、黒板さえあれば、割とどこでも上演できます。
全国の劇場関係者、コンテンツ不足を感じているプログラムディレクターの方、演劇祭のディレクターの方、見に来てください。
これまでの演劇とは一味も違った作品を、非常に低価格(笑)で上演できますので。

都内の方も、来年以降、東京で新作はあまりやらないと思いますので、ぜひこの機会にお越しください。
お待ちしています。

2月2日 1:19
公的な助成金を貰って芝居を上演するには、
その「意義」や「意図」や「効果」をこちら側が文書にし、その「価値」があると判断されたものだけに「投資」されます。
このことには何の異議もないし、至極当然のことだと思います。
だって税金ですからね。無駄遣いするわけにはいきません。
私たちの芸術文化分野だけでなく、今はどの業種の人も、もっともっと予算が必要でしょうから、一文たりとも無駄にするわけにはいきません。

しかし同時に、芝居をやるのに、その意義や効果を考えてやる人なんて、ぶっちゃけいるわけないんですよ。
自分の中にある「大切で壊れやすいもの」をそっと見つめながら、ある日ふと芝居にしようと思いつくんです。
それを上演の1年以上前に冷静にその意義なんて文章にできるわけがない。
いったいどこの誰が一年後に自分のつくる芝居の効果なんて考えるのでしょう。
マジでそんなこと考えることができたら大したものです。

僕は学問することに、これはすごく近いと思っています。
目先の結果や成果、学ぶ意義や意図がわからないものには投資しない。
大学合格保証システム(不合格の場合は授業料を返金する)のある塾なんていうのはこの流れです。
学問だって、芸術だって、その効果がもし出たとしても、ずっと先のこと。
芝居を見てすぐに何かが変わったり、芝居を上演して治安がよくなったり、
芝居を見て現代社会について理解が深まったり、そんなこと、あるわけないじゃないか。
明日も稽古なんで、そろそろ寝ますね。
「フェルマーの最終定理」は、公演の意義も、公演の効果もあるかどうかわかりませんが、面白いですよ。
どうぞ観にいらしてくださいね。