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初演の舞台より


交通事故で、ある日突然、愛するものを失ったらとしたら、私は一体どうなるだろう。そんな思いから、2005年に本作を上演することにしたのだが、稽古が進むにつれ、いったいこれが何になるのだという思いも同時に沸いてきた。それは、いくら私が真実に迫った台詞を書こうが、どんなに悲しい結末を用意しようが、しょせんはフィクションじゃないか、という思いだ。とたんに、創作する行為が、なんだかとっても恥ずかしいことに思えてきた。知ったふりをして、まるで事実と異なることを、一生懸命やっているように思えてきた。
それでも私たちはこの作品を上演した。ご遺族の方にも何人も上演を観ていただいたし、観客からもいろいろな意見が寄せられた。私たちは、表現することの暴力性とその責任について、多くのことを教えられた。
その翌年、今だ記憶に新しい事故が福岡であった。酒に酔った福岡市の職員の運転する車が追突事故を起こし、幼い子供3人が亡くなったあの事故である。マスコミは、「飲酒運転」「子供3人死亡」「市の職員」という3つのキーワードに飛びつき報道は加熱、多くの自治体や企業が、飲酒運転の厳罰化に一気に傾いた。
乱暴な言い方だが、報道する側には「おいしい」事故だった。「市の職員」がこんなことをするなんてと、怒りの矛先もわかりやすいものだったから、より私たちは当事者になったかのような悲しみと怒りを覚えたのだと思う。しかしこうして「わかったつもりになる」ほど、なんだか真実からはどんどん離れていくように思えた。悲しみと怒りで終わってしまうには、あまりに悲惨だ。もちろん真実はわからない。だけれども、これじゃないだろう、とは強く思ったし、だから私たちは勇気を持って表現するのだと、今は思っている。